南禅寺

 1334年、後醍醐天皇によって、南禅寺は五山の第一とされますが、1385年、京都五山と鎌倉五山に分割した足利義満が、南禅寺を「別格」として、五山を超える寺格に列します。そのために、日本全国の禅寺のなかで、最も高い格式をもちます。

 その後、2回の火災で焼失、再建されますが、1467年の応仁の乱で伽藍をことごとく焼失してからは、江戸時代初期まで再建されずにいました。

 1605年、「黒衣の宰相」と呼ばれる徳川家康の側近、崇伝が入寺して、南禅寺を再興させます。よって、現存する建物のほとんどが、この時代のものになります。

 南禅寺の三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、日本三大門の一つに数えられます。現在の三門は、1628年、藤堂高虎が、大坂の陣で戦死者の冥福を祈るため寄進したものです。

 上層の楼を五鳳楼と呼び、釈迦如来と十六羅漢像のほか、藤堂家歴代牌、大坂の役の戦死者の位牌などが安置されています。また、天井には、狩野探幽筆の天人と鳳凰が描かれています。

 この他にも、南禅寺境内には、方丈庭園にある「虎の子渡しの庭」と呼ばれる枯山水庭園や、亀山法皇の離宮の遺跡であり、南禅寺発祥の地でもある南禅院など、見所がたくさんあります。

 1888年に建設が開始され、1890年に竣工した、南禅寺境内を通る琵琶湖疏水の水道橋(水路閣)も、必見です。

 この水路閣の建設に当たっては、当時、周辺の景観を破壊すると反対されましたが、赤レンガでアーチ型橋脚をもち、ローマの水道橋をモチーフにした、田辺朔郎のこのデザインは、むしろ南禅寺とマッチしており、今なお観光客に賞でられるスポットのひとつです。

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